リリリ

昔から

 

受験生の身分のクセに、自分が受ける学校を呼び捨てしている人が嫌いだった(学校に呼び捨ても何もないかもしれんけど)


先生とかが面談で
「早稲田が」、「筑波が」とか言うのでも若干嫌だなあと思っていた

 

けど、それよりさらに受験生が「早稲田が」「慶應が」なんて言うのはもうほんとに無理だった。

私は、高校受験の時から地元の進学校の高校を呼び捨てにするのが嫌で、ちゃんと最後に“高校”をつけて呼ぶか、名前を呼ばないの二つだった。

 

 

 

 

 


なんでだか考えたら

自分がその学校の学生として生きたこともないくせに、自分の目で見たことすらないのに、軽々しく使っている感じがするからだと思ったし、
そこに通ってる人やそこにあるものを一括りにしている感じがするからだ、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

哲学をしたいな、と言うと「もっと潰しがきくものにしろ」とか「哲学って鬱になって自殺するんじゃないの?」と言われ、鼻で笑われる。

 

 

 

 

 

 

 


でも好きな哲学者のヴィトゲンシュタイン

 

語りえぬものについては沈黙しなくてはならない

って言っていて


いや、あのホントの意味まではまだまだ私も知らないし、掴めてないから軽々しく使うのもあれだけれど

 

 

 


自分の価値観を変えることなく、新しい知識とか概念とか、そういうものを分かろうとするのは無理だと思う
情報処理ができることと、真実を理解することは違う。

 

 

 

 


だから私はちゃんと自分の目で見て、考えて、知って、価値観もぐるぐる変えていきながら、同じところに留まらず、進んでいきたいと思う

 

 

 

だから、わかったように語る受験生が苦手です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


この間
現役の時には言えなかったことをぶっちゃける、みたいな番組で

『男性との出会いがなさすぎて、女性を愛したことがある』

って元女子バレー選手が言ったのに対して「え〜!」って驚いた反応してる観客と他の出演者に違和感しかなかった。

 

 

 


そもそもまず「え〜〜!」なんて言葉を口にしてる時点で、いい意味でも悪い意味でも「わ〜この人すげえ〜」なんて気持ちが込められてるわけであって(多分、「え〜信じられない」のニュアンスで言った人が大半なのだと思うけれど)

 

 

友達と話してたら、アメリカにも『腐女子』みたいな人はいるらしい。
私はてっきり日本特有のものなのかなって信じきってたから、まだまだだなぁって思った

 

 


男と女だけで恋愛を捉えるな、なんて言ったら
お前が好きなマイヘアの曲はどうなんだ!男と女の恋愛の歌なんてごまんとあるじゃねぇか!ってなるけど

 

 

 


いやまあ、そりゃそうだけど、その事実そのものがそのまま同性愛を否定できるものじゃないからなぁ

 

 

 


アメリカの『腐女子』とか同性愛とかに限らずだけど
わたしもいろんな面で、“自分にとっての”マジョリティーが絶対的に正しいって思いがちなところがあるからもう少し治そうっておもいました

 

 

 

 

 

 

多角的な観点が要る

 

 

 

 

 

 

 


多角的な視点で物事を捉えれば、きっと私なんてものは何者でもなくなる。多分。

 

 

 

夏は自分を見失ってしまう、というのは嘘でスマホは、自分を見失わせてしまう。

 

それに加えて、この間の金曜日、生理2日目の時、予備校で勉強していたのだけれど
ずっと座ってたからスカートに経血が漏れていて

いつから汚れていたのかわからなくて、ただ恥ずかしくて、予備校に行く足が遠のいてしまっていた、

 

 


だから尚更、ひたすらに頑張っていた自分をどこかに置いてきてしまったような、そんな3日間だった

 

 

 


意志なんぞはきっともうすぐぶれちゃうもので、確固たる意志だと思っていたものはいつの間にかふにゃふにゃになってて

 

 

それでも、自分だけは、見失ってしまったら終わりだと思った。

 

 

 

 


やっぱりスマホだめだな〜私には合わないや

 

 


自分を取り戻す。勢いを、意志を

 

 

 

 


そうだ、意地じゃなくて意志なんだ