あげなおし

いてほしい人がいない時のもやもやした気持ちはなんとも言えなくて
とりあえず明日から通常運転する

寝ないとダメだな、ほんとに。先週1週間は体が持たなかった。明日からは何よりも睡眠を優先させる

何ていうの、ほんとに勉強以外の何かをしたら常に罪悪感を感じるくらいでいいんだって思った
漢文の先生が「円形脱毛症になるくらい頑張ってよ」ってさらりと言っていたけれどいやほんとそのくらいやんないとなって思ったよね、円形脱毛症になるくらいやって初めて本気だって言えるんだもんね、うんうん。





昨日書きたかったことは今ではもう古いし、その時その時に言葉にしないともう過去のものになるんんだなあ、つって

勇気を出したあの日も、勇気を出せなかったあの日も
私の思考回路の1面はものすっごい単純だから 情けないくらい
だからなぁ、とりあえず早いうちに声をかけなければいけないよ〜プラマイゼロにしなくちゃ






この間の授業で、井上ひさしの『汚点』を読んだ

もし私の親や妹が本気で苦しんでいたら私は何かを犠牲にしてでも救ってやらないと!って思えるのだろうか
もし私の隣で親や妹が誰かに殺されたりしたら私はすぐ殺した人を刺し返したりするのだろうか
って

もしかしたらこれからの将来、私の手で誰かの命を奪ったりすることが起こりうるのかもしれないなって思った。
そう考えたら怖くなった。なんてよく見かける言葉だけれど、今の私でいれる保証はどこにもないから



なんかブログに殺すとか死ぬとかっていうワードが多すぎてちょっとヤバイやつって思われそうだな? いや、ほんとにそういうんじゃないのでね、あの、普通に生きてますから、普通に飯食って風呂入って寝てますから。安心してください



でもさーまだまだなんだよー足りないんだよー


この間まで予備校のわたしの前の席に座っていた女の子は、遅刻が多いし、眼鏡だし、顔もでかくて(失礼だけど)そんなに可愛くないのにたまに爪だけは真っピンクな事があって、言葉を選ばなければ異質。最近は遅れてきてすみませんも言わずに入ってくる。
(最近はそうでもないんだけれど)

だからすごく腹が立っていた
外見とかそういうんじゃなくて、心が身なりとか行動に表れているというか、多分そういうこと




でもその子を見ているとわたしなんだよな、
自分と似て非なるものに腹がたつと常々書いているけれど、この子は多分わたしなんだよなあ高校のころの。
あの子の姿を見るたびにこんな風には絶対もう戻らないぞ、って思う

坂口安吾の『堕落論』の説明で
「過去の人から堕落していると思われてもいいが、今は過去の価値観から脱却した生き方をしなければならない、ってことを書いた本だよ」なんて先生が説明してくれて、あ〜なるほどなって思ったし、

小論文のテキストをパラパラ読んでいると、高橋源一郎の『死者と生きる未来』が目に留まって

 

慰霊とは、過去を振り返り、亡くなった人びとを思い浮かべて追悼することではなく、彼らの視線を感じることではないだろうか。そして、その視線に気がつかなくとも、彼らは、わたしたちを批判することはないだろう。「過去」はいたるところにあり、見返りを求めることなく、わたしたちを優しく、抱きとめつづけているのである。

 

てのを見てもう、はーーーー!って感じ!はーーーー!なるほどーーーーー!って

過去の自分のおかげでいまのわたしがあるというよりかは、過去の私の視線の先にいまのわたしがあるのだと思った

今の私は過去のわたしが想像していた自分になれているのか??



過去の自分を認めてあげて、だとか、今の自分は今までの自分のお陰なのよ、だとかすごく素敵な言葉なのだけどな



今の私は、過去の自分を否定することで進めるのならそれでもいいから

ストイックになるとか考えてた私はどこに行ったんだ 決意は揺らぐんだ 自分で育てていかないとダメなんだ




む!

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